第18回 死ぬことを覚悟する年齢になった

 群馬に行くと一報を入れると、「帰りで良いから絶対に立ち寄ってくれ」と言う知人がいました。温泉に浸かりがてら黒檀材の端材や煤竹を頂戴する仏壇屋や知り合いになった蕎麦屋の婆さんなどに顔を見せに行くのですが、お言葉通り帰りに立ち寄ると、小生のワゴン車は季節の野菜で満杯になり、いつもまるで八百屋状態で、売るほど頂戴するのです。
キャベツ、人参、大根、ブロッコリー、白菜、南瓜などの季節の野菜。
こごみ、タラの芽、摘菜、山椒の芽、蕗の薹、真竹の子などの山菜。
実りの秋には、柿、柚、銀杏、林檎などなど。
そしてそれが皆ものすごく美味しいのです。
 今年の正月三日の日も、帰りにちょっと寄ったら、白菜の漬け物と沢庵をたんまりと頂戴しました。

 実は2010年1月18日、その知人が亡くなったとの知らせが入りました。ついこの前に会ったばかりで、ものすごく元気でしたのに・・・・。
 三年前に道を尋ねた事が切っ掛けで知り合いになり、その後懇意にしていただいていた小生と同年齢の男性です。時に山寺の桜吹雪の下で握り飯を喰らいながら、時に温泉に浸かりながら、いつしか意気投合して「生き方」や「己の人生」はたまた「死とは」などを語り合う間柄になっていったのです。

 訃報に取る物もとりあえず駆けつけると奥様から渡された手紙。そこには「短い付き合いながらありがとう」との言葉が認められ、「最後にお願いしたい。一の倉沢に散骨して欲しい」と。以前に小生の死後の葬り方を話した時に感心を示され「同感した」と言われた事と同じ内容が書かれてありました。小生は次男なので、我が家系の墓に入ることはできませんし、狭い家に住んでいて、死んでも重い石の下の狭い所に入るのは嫌ですので、散骨を希望していたためそんな話しをしたのですが、その方も三男らしく「おれも貴男のようにしたい」と申されていたことがありました。奥様にもちゃんとお話されていたようで散骨することを頼まれた次第なのです。さすがに、もう小生は冬山には入れませんので、しばらく待たなくてはなりませんが、夏になったら奥様と一緒に谷川岳に入るつもりです。
 死因は心筋梗塞で畑に倒れていた所を発見され、もう冷たくなっていたとのことでしたが、こんな手紙を残していたと言うことはもしかしたら予感めいたことが有ったのかも知れません。小生にはまだそんな予兆はありませんので、暫くは逝くことも無いでしょうが、しかしながら確実に逝く時期が近づいているのも事実です。

 おそらく、四十歳代や五十歳代で過去に大病をされた方や同年代の近親の方が亡くなられた経験が無ければ、ご自身の「死」を考えられた方はおそらく少ないのでは無いでしょうか。親戚の方や例えご自身の親が逝った時にも、どこか自分とは無縁なものと思い、自身に重ね合わせることは無いと思います。小生も自信の親や家内の親、親戚の叔父などが逝った時は自分とは無縁なこと思っていました。それはそれで良いのでしょう。四十歳代からご自身の死を考えるなどと言う事はあまりにも辛いし、悲しいではありませんか! 四十歳代の方であれば今は働き盛りで、おそらくお子様もまだ独立されておられないでしょうから、妻子のためにも今の「生」を精一杯謳歌すべきなのでしょう。定年になり歳を重ねると、否が応でも「死」を考えなくてはならない時期が必ず来ますので、その時にゆっくりと考えれば良いのです。

 小生のことになりますが、七~八年前(小生が五十五歳前後の時)、同年代の友人や義兄(と言っても小生と同い年)が相次いで亡くなった時期があり、その時は「早く逝ってしまったなぁ~」と感じながらも、葬儀も一段落した折にふと「もうそんな年代になったんだ!」と思ったことがありました。「もういつ逝ってもおかしくない年齢になったんだ」と。そして改めて「自分の死」というものを考え、いつ逝っても良いように覚悟を固めるべきだと思ったのです。
 実際に本当に覚悟を決められたのはそれから5年後になってしまいますが、その間「死に方とは」などの死について書かれた書物を読み漁りました。どの本にも書かれていることなのですが「生を受けた以上、絶対に死は訪れる」ということです。当たり前と言えば当たり前の事なのですが、意外とこの事を自分の事として受け止めておられる方が少ないのです。小生も正にその通りだったのです。死を考え、覚悟を固めるということは、まず「絶対に死は訪れる」ということを認識することから始めなくてはなりません。その時期は人によってまちまちですが、今生きている全ての人に「絶対に死は訪れる」のです。人様に「死」のことをお話すると「縁起でもない!」と言われることがありますが、これは「縁起」の問題ではなく、命ある物としての宿命なのです。よくシーラカンスやカブトガニは「生きた化石」と言われますが、一個体が何万年も生きているのではなく、単に個体の種が受け継がれているに過ぎないのです。そんな生物としての宿命を背負っている以上、当然小生も死にます。だから覚悟を決めることにしたのです。
 
 なぜ多くの人が「死」を話題にすると「縁起でもない」とか「縁起が悪い」と言うのしょうか。辞書によると「縁起とは」
(1)物事の吉凶の前兆。きざし。前ぶれ。
(2)社寺の起源・由来や霊験などの言い伝え。また、それを記した文献。
(3)事物の起源や由来。
(4)〔仏〕 因縁によってあらゆるものが生ずること。
   ――でもな・い――縁起が悪い。不吉だ。とんでもない。
   ――を祝・う――よい事があるようにと祝い祈る。
   ――をかつ・ぐ――吉凶の迷信にとらわれる。縁起がいいとか悪いとかを気にする。
とありますので、「縁起が悪い」とは「悪いことが起きる」という意味で使われているのだと思います。
 では「死」は悪いことなのでしょうか。もし悪いことなのであれば、どんなに善行を行った人にでも、いずれ悪いことが起きることになってしまいます。そうであれば何人もの人を殺した極悪非道な殺人鬼でも德を積み重ねた高僧も「最後は皆悪い結果を迎える」ということになってしまうのではないでしょうか。それではあまりにも悲しいし寂しいですよね。おそらく「縁起が悪い」という人は「死は悪いこと」と言っているのではなく「死ぬのが怖い」から今話題にしたくなくて、当面は関係ないと自分に思いこませて言っているのだと思うのです。

 それではなぜ人は死を怖がるのでしょうか。第一に考えられることは「生きている人たちとの絆が断ち切られる」からなのではないでしょうか。自分を愛してくれた人や可愛い子供や孫と永遠に別れなくてはならないからだと思います。第二は「死後の世界」が分からないからでしょう。地獄に行って苦しみぬかなくてはならぬのやら、天国に行って心安らかな毎日を過ごせるのやら、死と同時に無の世界となり全ての感覚が無くなるのやら、はたまた、輪廻転生で別の生を謳歌できるようになるのやら、まったく分からないからだと思います。小生の知人に占いで「前世は石だった」と言われた奴がいましたが、その話しを聞いたとき皆は「確かにお前は石頭だ」と大笑いしたことがありました。それを面白がって同じ占い師に観てもたっら他の友人は「貴男の前世は葉っぱだった」とのことで「せめて犬くらいにして欲しかった」と言っていましたが、その酒の席では「俺たちの前世はどうせそんなもんだよ!」ということで纏まり、現世は人で良かったよな!後生はもっと金持ちの家の息子に転生したいものだということに落ち着いた次第です。もし輪廻転生で石や葉っぱに生まれ変わったらどんな感じなのでしょうね。切り出されて知らぬ人の墓石になったり、猿に喰われる葉っぱにでもなるのでしょうか。

 死について本を読み漁った折のことになりますが「尾崎雄著・人間らしく死にたい」等の本と共に、立花隆氏著の「臨死体験」とか「脳死」などの本も多数読みました。この中でも「臨死体験」や「生、死、神秘体験」などは、かなり科学的な立場から丁寧に取材されたものでしたので「さすが立花隆氏!」と思ったのです。
 臨死体験とは「立花隆著・臨死体験」の冒頭から引用させていただくと

『臨死体験というのは、事故や病気などで死にかかった人が、九死に一生を得て意識を回復したときに語る、不思議なイメージ体験である。三途の川を見た、お花畑の中を歩いた、魂が肉体から抜け出した、死んだ人に出会ったといった、一連の共通したパターンがある。臨死体験とはいったい何なのか。その意味づけと解釈をめぐってさまざまの議論がある。一方には、これをもって死後の世界をかいま見た体験であるとし、臨死体験は魂の存在とその死後存続を証明するものであるとする人がいる。他方では臨死体験というのは、生の最終段階において弱りきった脳の中で起こる特異な幻覚にすぎないとする人がいる。』

という事らしいのです。小生や回りの知人にまだこのような経験をなされた方はおりませんので、その時の状態を直接聞くことは出来ませんが、立花隆氏の著書をお読みになればかなりの詳細や体験談なども知ることができます。
 再度の引用になりますが、ワシントン州シアトルの小児科医メルヴィン・モース博士の話しによると

『全ての人が生まれながらに臨死体験のプログラムを遺伝子に刻印された形で脳の中に持っている』

のだそうです。

『それは臨死体験のコアの部分だけをプログラムされていて、全ての人が言葉をしゃべる能力を持って生まれてくるが、実際にどんな言葉をしゃべるのかは、どのような文化環境に中に生まれたかによって違ってくるように、プログラムされた臨死体験の基本骨格は全ての人に共通のものだがその具体的内容は、その人が生まれた文化環境によって違ってくる』

と言います。そして「脳のどこで臨死体験が起こるのかは六十年も前から分かってる」のだそうです。現代脳神経学の基礎を築いたというワイルダー・ペンフィールド氏の「てんかん」の研究中に、側頭葉にある「シルヴィウス溝」というところを刺激したところ、患者は「体外離脱」のような感覚を訴えたと言うのです。(詳細は『立花隆著・臨死体験/文藝春秋社刊』をご覧ください)
 日本人は仏教的思想が根付いていますので、子供の時から天国や地獄などという言葉と共に、死ぬ時は三途の川を渡って冥界に行くとすり込まれます。西洋(キリスト教文化)では教会などで空から天使が迎えに来ると聞かされるので、臨死体験を経験した人の証言で、西洋人で「三途の川」を見た人はほとんど無く、日本人で「キリストが迎えに来たと」証言した人は殆ど無いそうです。このように概ね臨死体験を経験した人が見る世界は、その人が受けた文化が反映されているものだと言います。
 立花隆氏は「証言・臨死体験/二十三人の鮮烈な記録」という本も著されていますが、その殆どは「快楽の世界への旅立ち」であるらしいのです。本当に死んで二~三年たって生き返った人のはなしではないので、臨死後の本当の冥界の姿がどうなっているのかは分かりませんが、死の過程は少なくとも「苦痛」では無く「快楽」に近いようですので、「死」は怖いものでは無いようなのです。
 芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の主人公、犍陀多のようになるのは、誰でもごめん被りたいと思いますよね。

 まあ、小生は自分の死を覚悟するまでに、このような「死」についていろいろな本を読んで、ようやく覚悟を決めることができました。一度覚悟を固めてしまえば、これからの人生は余生です。生の余りの時間なのです。「死」につて書かれた本の殆どは「いかに生きるか」ということに主眼が置かれています。ですからこれからは決して傲らず、欲をかかず、辛さを受け入れ楽しさを謳歌し、清貧を尊び、つまらぬ羨望を諫めて、仕事や生活の諸事に追われながらも、趣味の時間も取って没頭する。楽しいのやら、辛いのか分かりませんが、とりあえず少しの幸せな毎日を送って行こうと思っているのです。

《追記》昨年十月に二人目の孫が生まれ、今一番可愛い時です。上の孫はすでに今年中学に入り、時々群馬に二人で行って温泉に浸かります。そんな時生きる辛さは忘れてしまいます。やはり小生は幸せなのだと。