第15回 小生のペーパーナイフ

 前回の「手に技を」でも認めましたが、小生「刃物フェチ」で「研ぎフェチ」なのです。心根を打ち明けると本当は小刀やナイフを自分で作りたいと思っているのですが、刃物の場合、その制作行程の殆どが鍛冶仕事です。近くに鍛冶屋でもあれば手習いとして教えて頂き自分で作りたいのですが、今ではそのような鍛冶屋などはありませんし、近年の銃刀法の改正で、両刃で刃渡り五.五センチ以上の刃物は、その所持も禁止されていますので叶わぬ夢となってしまいました。いずれは自分で打った小刀を自身の手で研ぎ、磨き上げた小刀を作ってみたいと思っていた小生には非常に残念な法改正ではありますが、昨今多発した事件を鑑みますと、これもやむを得ぬことなのでしょう。

 小生が最初に手にした刃物は、父親から譲り受けた「肥後の守」で、後年グラフィックデザインの仕事に就いた時も、鉛筆を削る時などに使用していました。しかしながら度重なる研ぎで、とうとう刃が無くなってしまいましたので仕方なく諦め、今は引き出しの奥に遺品として仕舞ってあります。その後、小細工をするために「切り出し」を一本入手したのが切っ掛けで、工作道具に填っていったのです。
 鑿、鉋、鎗鉋、彫刻刀、切り出し等々、切り出しだけでも十七本も所持しています。時々友人などから「何でそんなに必要なの?」と聞かれますが「それぞれ刃先の角度が違うので使い方が違うのだ!」などと弁解がましいことを言っておりますが、本当は「単に欲しかったから」と言うのが本音なのです。全てではありませんが順番に使って行き、有る程度の本数まで行くと纏めて「研ぎ出し」をして、綺麗に研ぎ上がった刃先を眺めて悦に入っているのです。

 今回の本題から少しずれてしまいましたので基に戻しますが、ペーパーナイフという概念は、本来日本の文化には有りませんでした。殆どの和紙は繊維が長いためにペーパーナイフでは切れないからです。明治時代の郵便制度とともに洋紙文化が入りそれに付随してペーパーナイフというものが入ってきたのですが、このあたりの説明は書くと相当に長くなってきますので省かせていただきます。

 小生が始めてペーパーナイフなるものを手にしたのは、中学二年の時、海外出張から帰ってきた叔父から頂戴したものでした。叔父には申し訳ないのですが、初めは「なんじゃ!こりゃ」という感想でした。柄には七宝様の少し綺麗な模様があるものの、ナイフなのに全体が軟鉄で出来ており刃がついていない。「これじゃ紙も切れねえじゃねえか!」とがっかりしたのを覚えています。そうです。小生ペーパーナイフという物の使い方を知らなかったのです。ですから雑用品を入れる箱に放り込んで、いつしかその存在さえも忘れてしまいました。
 
 二十歳を少し過ぎた頃、友人を連れ立って横浜の元町を散策していた時、ショーウインドウに展示してある美しいナイフが目に飛び込んできました。子細に見ると全体が銀製で柄には金の象嵌が施してあり、それは流麗な姿をしていたのです。思わず店内に入って見るとそこは文房具店で、蝋封のセットなどと共に展示されありました。店主に「これは切れるのですか?」と問うと頷かれ、蝋封された封筒を切って見せてくれました。そこで始めて己の無知さ加減を知ることになったのです。「ペーパーナイフとはこのように使うんだ」と。その時の小生は「顔から火が出る」ような思いで、店主にもそれは伝わったようで「なぜペーパーナイフには刃が無いのか」というようなことも教えて頂いたのです。当然値も高価で、当時の小生には購入することはできませんでしたので、早々に退出した次第でした。

 無知とは怖いものです。真理を知らなければいつまでも厚顔のままで居られますが、いざ知ってしまうと・・・。
 社会の窓と同じです。気が付かなければ平気で街を闊歩できます。
 ところで読者諸氏。もし人通りの多い所で自身の「社会の窓」が空いていたと知った時、どうしますか?その場で直ぐに閉めますか? これって皆の注目を集めて結構恥ずかしいですよね。それとも気づかない振りをして人目の少ない所まで行きますか?鞄でも持っていれば何気なく前に翳して人目の少ない所で閉めることも出来ますが、何も持っていない時などはどうしますか? ハンカチなどを翳しますか?それも態とらしいですよね。
 そんな時小生はポケットに手を入れ捜し物をしているのを装って、前をできるだけ塞がるようにします。そしてできるだけズボンと同じ色の下着を着けるようにしているのです。という方法を知っているということは、小生結構頻繁に失態を犯しているのです。

 その後、何度か木や鹿の角などで作ったペーパーナイフを見かけることが有りましたが、細工が稚拙であったり姿が悪かったりと、購入までには至りませんでした。何しろ横浜の、あの銀製の素晴らしい形が忘れられなかったからです。
 そこで自分で作ることに思いいたりました。材料は以前に仏壇屋から頂戴して持っていた三十センチくらいの黒檀材。最初は横浜で見たのと同じ形のものを作ってみましたが、材料が木でしたので銀製ペーパーナイフと同じ大きさにするとかなり陳腐なものとなってしまいました。そこで懐刀くらいの大きさにすれば良いと思い、自分でも多少満足できるくらいのペーパーナイフが出来上がりましたので暫く使っていたところ、刃にあたるところが裂けてしまったのです。見ると、刃と木目が斜めになっていたため、そこに紙の繊維が入り込み裂けてしまったのです。今度は刃と木目が平行になるように刃の部分から先に削り始めましたところ、これが成功だったのです。所詮、材料はいくら堅い木であると言えども刃は徐々に鈍ってきますので、サンドペーパーで少し刃を平行に戻し、再度刃を立てるとまた切れるようになりましたので、かなり永い間重宝して使っていました。

 ある時、イラストレーターの友人から「親父が作って送って来た」というペーパーナイフを頂戴しました。これが実に素晴らしいもので、その後の小生のペーパーナイフ作りに大きく影響を与えることになるのです。
 それは、はまず不定形でありながら形が整っていました。刃の部分は自然の木が裂けた所を非常に上手く利用しており、持ち手部分も心地よく手に馴染むのです。材質は樹齢200年以上のイスの木の芯材(スヌケ)で、非常に緻密で硬度が高く、水に沈ほど重い木なのです。
 イスの木という珍しい材料はともかくとして「ナイフはナイフの形に」との固定観念に縛られていた小生にとっては衝撃だったのです。「こんな作り方があるのか!」と。そして「どうしても自分で作って見たい」という衝動に駆られてしまったのです。

 いつものことながら、まずは真似から入ることにしたのですが、イスの木のような珍しい材料は手に入りませんので、黒檀材と鉄刀木の端材を探すことから始めました。銘木店などを探して探して、結局行き着いた所が仏壇の製作所。しかしそこでも本物の黒檀を使っている所は少なく、今では殆どが疑似黒檀(欅材などに着色したもの、プラスチックやプリント)で製作しているとのことでした。それでもようやく探し当てた仏壇再生会社で、小さいながらも木っ端を幾つか手に入れることができました。
 早速、頂戴した長さ三十センチ、幅九センチ、厚さ三センチ位の黒檀材の、自然に腐食してできたと思われる面を見つけ、その面を活かして二本のペーパーナイフを作ってみたのですが、なかなか気に入るものができません。その後東急ハンズなどに出かけ探したのですが、黒檀材などの堅木で自然にできた美しい面を持っているものは見つかりませんでした。半ば「自然に裂けた面を見つけるのは無理か」と諦めかけた矢先「自然に裂けたのでは無く、裂いてみたらどうか!」と思いつき、裂いて見たところ、非常に面白い面が顔を見せたのです。

 ふとした思いつきが僥倖でした。試しに一本仕立ててみたところ、これが思っていたよりも仕上がりが良く、かなり気に入ったペーパーナイフが出来上がったのです。それからは、手に入る黒檀材や鉄刀木を裂きまくる毎日でした。日がな一日トンカントンカンしていましたので、隣家のご主人から「自分で家を改造しているのか?」と聞かれたほどでした。
そんな中で次第に分かって来たことがあります。それは
*時間をかけて乾かした材木ほど綺麗に裂けて、裂け目も美しいということ。
*反対に中途半端に乾かした材木は綺麗に裂けず、裂け目にササクレができるということ。
*正目より目の曲がった材木の方が面白い裂け目ができるということ。
*年輪に対して直角に近い方向で裂いた方が面白い裂け目ができるということ。
などです。
 この中でも最も重要なのが「良く乾かした材木」であるということです。
 当然、木は生えている時には地中の水分を吸って葉に送る訳ですから、切り出した直後の木には50%から60%もの水分が含まれています。家などに使用する木材は、この水分を20%くらいにまで自然乾燥させたものが理想的と言われ、それには最低でも切り出してから2年間はかかると言います。そして高級な二胡や三線、仏壇などの場合には、30年以上屋外で自然乾燥された古材黒檀を使用して作られているそうです。小生もこのような木材を使いたいのですが、これを銘木店などで購入するともの凄く高価ですので、なかなか入手することができません。また、所詮小生の作るものは小さいものですから、銘木店に置いて有る立派なものは必要無く、木っ端程度で良いのです。

 どのようにして木っ端を手に入れるかと考えていた折、群馬の友人から「仏壇屋と友達になったから照会する」との連絡が入り、取るものも取り敢えず駆け付けてみると、店舗の裏に工房のある、手作りの仏壇制作会社でした。お許しを得て工房を拝見させていただくと、そこは小生にとっての宝の山。「こんなものが欲しいのか?」と見せられたのは立派な床柱にできるような黒檀材。「とんでも無い!ほんの木っ端で良いのです」と工房の片隅に積み上げて有った黒檀の端材を手にしたところ「そんなもので良いのか、好きなものを持って行きな」とのこでしたので、有り難く四本ばかり頂戴してきました。早速裂いてみると綺麗に裂けて、四本の木っ端から20本あまりのペーパーナイフにできる材料が取れ、仕上げてみるとこれがものすごく良い黒檀材で、自分でも目を疑うくらいの出来映えだったのです。

 何でも、その群馬の仏壇屋は先々代から続いていて、小生が頂いた黒檀材は先代から有ったものだと言うことなので、最低でも60年は経ており充分に乾燥されたものだそうです。良いものを頂戴したと、ご報告かたがたお礼の電話をすると「あんなもので良いなら沢山有るからいつでも取りに来い」とのお言葉をいただきましたので、ずうずうしくも再度お伺いすることになりました。その折、煤竹の話が出て、小生も煤竹で色々な物を作っていると申しあげたところ「いっぱいあるから好きなだけ持って行け」とのこと。今は車庫になっている大きな納屋の天井を見ると、そこには5メートルはあろうかと思われる立派な煤竹が何十本と有ったのです。

 5メートルも有ると小生のワゴン車には入りませんので、やむを得ず入る長さに切って、その時は5本ばかり頂戴してきたのですが、非常に身の厚い竹でしたのでペーパーナイフをしたててみたところ、これがまた煤竹の風合いが出て良かったので、煤竹でもペーパーナイフの製作を始めました。当然竹ですので、黒檀のようにいろいろな裂け方はしませので、だいたい同じような形になってしまいますが、皆一つづつ燻り模様や色合いが違いますので、これはこれで一つ一つが面白いものとなっています。
 
 小生いろいろなペーパーナイフを作って販売していますが、どうしても売りたくないペーパーナイフが3本ばかりあります。1本は最初に作ったもので、これは売り物になる出来映えではありませんから、当然売れません。当初は「良い」と思った自分への戒めのために残しておくものです。後の2本は自分だけが悦にいっているのかもしれませんが会心の作です。とは言いながらも、心のどこかに「もっと良いものが出来るはず」との思いがあり、いずれこれ以上のものが出来た折には、この2本も売りに出すつもりです。こんな事を書くと「それじゃぁ、今売っているのは出来の悪いものなのか」と言われそうですが、そうではありません。一つ一つが丹精込めて作った時の思い入れがある品ですので、どうかここらあたりの心情をお分かりください。

 今では定型のペーパーナイフは作っておりません。へそ曲がりの小生には定型は面白くないのです。
 最近始めたのは片面に漆を塗ったペーパーナイフです。これはまだ販売するまでには至っておりませんが、蒔絵などを施すと面白いものになってくるのではないかと思い、現在製作に励んでいる途中です。

 今回の話しは「ペーパーナイフ」と言いながらも「材料」の話しが多かったですね。
 所詮、たかがペーパーナイフですのでこんなものなのですが、小生にとっては「されどペーパーナイフ」なので、これからもずっと作り続けるつもりです。