第13回 面白いお客様達 |
これは一時期開いていた古物商の時の話しです。 古物屋とは、関心の有る方にとっては面白いようで、時間をかけて宝探しのように子細に店内を見ておられ「これは何時の時代のもの?」などと質問され、そこから話しが弾むこともしばしばあります。しかしレトロや古物に関心の無い方にとっては、屑屋同然見える店のようなのです。時として胡散臭く、まるで盗品売買の店のような言われ方もしました。当然皆様違う価値観をお持ちですので、弊店に展示してある商品にも様々なご意見をお持ちなのは分かっているのですが、当初は時々カチンと頭にくることをおっしゃるお方もおられました。だけど辛辣とも思えるご意見も、一度見方を変えると面白いご意見だったり、笑える言葉だったり、時として勉強になることもしばしばありました。そう思えるようになったのは、古物屋の店主として多少は成長した証だと思っています。今回はそんな話しを書き連ねてみようかと思います。 まずは、お客様とのちょっと面白い会話を若干ご紹介します。 ◆お客様「これ良いわね。これの新しいの無いの?」←小生「すいません。当店は古物屋なので・・・」 骨董を趣味とする人には、大きくは二手に分かれます。藍染め陶磁器のみを集められるなど範疇を絞っておられる方と、陶磁器も含めて箪笥や屏風、甲冑、刀など収集範囲の広い方々です。弊店には小生が趣味で集めていた骨董と、小生の手作りの木工(煤竹)品を中心に展示販売していますが、昔から古いものが好きで、少し小遣いができると骨董市などに出かけ素見し、気に入ったものがあれば購入していました。その範疇はと言えば、後者の何でも屋でした。古銭、古切手から始まり、陶磁器、塗り物、電話、時計、古裂、香炉、古ボタン、ステンドグラスなどなど、あらゆるものに手をかけました。なにしろ、ちっと変わったものが有ると欲しくてたまらず、買ってしまうのです。本業のグラフィックデザインも軌道に乗り、収入も多少増えて来て、小遣いも少し多めになってきた時期にはピークに達し、新居に移転したことも相まって、ついに箪笥などの大物にまで手を出すようになってきました。当初は広かった新居も見る間に古物で埋め尽くされ、ついには家内から「貴方が出て行くか箪笥を処分するか、どちらかにして!」と引導を渡されるまでに至ったのです。 ちょうどそのころ、とあるお家で姿の良い立派な階段箪笥を目にして、購入に向けての交渉をしていました。その時、小生の頭の中には、その階段箪笥を置くスペースの有無などは全く有りませんでした。なにしろ欲しかったのです。後日分かったことなのですが、我が家には入らない大きさだったのですから、お笑いぐさでした。幸か不幸か、結局その階段箪笥は小生の手に入らなかったのですから、家内との諍いもせずに済んだ次第ですが、その階段箪笥に纏わるお話がちょっと面白いのでご紹介いたします。 その階段箪笥が小生の手に入らなかった理由は、すでに別居されておられたご長男様の「曾祖父の時から有った大事なものだから、売ってはならぬ」との一言だそうです。話しによるとそのご長男様が二、三年後に家を建てられるので、その時に引き取るとのことでした。当のお婆さんから「大変申し訳ありません」とのご連絡を頂戴しましたが「大事にされる方が有っての家具ですから・・・」と了解し、階段箪笥の購入の話はひとまず終わったのです。 それから二年後、当の長男様から連絡が入りました。「あの階段箪笥が入らないので相談に乗ってくれ」と。出向いて見るとそこは購入予定のマンションで、元々階段箪笥の置いて有った家より天井が五十センチ近くも低い所でした。長男様はどうしても入れたいと申される。その奥様は「そんなものいらないわよ」とおっしゃれる。間に入った小生はちょっと困りましたが「どうしても入れたいのであれば、上段を二段を切るしかないが、価値は下がります。切る場合には素人ではなく指物師に依頼すべきです」と助言申しあげました。その後長男様は天井の高いマンションを探したり、お婆さんの土地に家を建てるなど、相当にお悩みなされたご様子でしたが、最後は結局奥様のご意見を受け入れて当初のマンションをご購入なされ、階段箪笥は元のままに置かれることになったのです。 そんなことから二年後、長男様が急逝なされたとのことで、お婆さんから連絡が入り「階段箪笥を引き取って欲しい」と申されましたが、我が家には入らないためお断りするしかありませんでした。次男様と長女様もおられるらしいのですが、そのような物には全く興味が無く、見向きもしないとのこと。とりあえず「小生も引き取り手を探しますから、そちらも心当たりに声をかけてください」ということになり、いつしか三年が経過することになってしまったのです。 ある夜遅くにお婆さんから「家を解体することになりました」との連絡。結局階段箪笥の買い手が見つからないまま、次男様が家を建て替えることになり「明日の朝から解体が始まります」と言う。思案した挙げ句「とりあえず明日の朝にお伺いします」とご返事し、翌日知り合いの大工を同行して現場に出向くと、正にユンボの牙が屋根に噛みつこうとしている状態。「待ってくれ!」と作業を止めて大工に見て頂くと「解体はできそうだ」とのことで、解体屋と交渉の末、若干の追加料金で半日待って頂き小生も手伝って解体することになったのです。現場には当のお婆さんも姿をお見せになり寂しいそうに眺めておられながらも、階段箪笥が壊されないことにほっとしていました。 いざ解体してみるとやはり各部材等はかなりしっかりとした箪笥で重たいのです。それを見た解体屋も見かねて手伝ってくれると申されましたので四人で解体が始まりました。そして引き出しの奥から遺書のようなものが出てきたのです。 さて、解体した部材とは言え大きな階段箪笥でしたので、板の厚さもかなりあり、その量も相当なものになります。ですから「家具ならまだしも今度は材木?」とまたまた家内からのきつい文句です。「? てことは、古い箪笥を置くことは認めてもらえたんだ?!」と言質を取る訳では有りませんがほくそ笑み、「この階段箪笥さえ引き取り手が見つかればもう一つくらいは箪笥が買えるぞ!」と内心大喜びです。そうなるとやる気も満々で、考えられるあらゆる方面に連絡を取り、引き取り手を探し回りました。その中でお二方が関心を持たれ、我が家に見にこられましたが、何しろその大きさに尻込みされ結局お引き取り願うことはできなかったのです。実はもうお一方お見えになられたのでが、居酒屋の内装業者の方で「切り刻んで壁にはめ込む」とのことでしたので、即刻お断りしました。その時は「切る」などとは以ての外で、元通りの復元しか考えられなかったのです。 現在の都心で家を新築する場合、土地が狭いためにどうしても三階建てとなり、一階を五十センチ高くすると高さ制限にひっかかり、その分二階や三階の天井を低くしなくてはならず居住性の悪い家となってしまいます。また○○ホームなどの建築業者では、柱材等の寸法が決まっているために、二階家を建てる場合でも一階の天井を五十センチ高くすると、建築費が五割も高くなってしまうそうです。そんな時代ですからこの階段箪笥を引き取られる方がなかなか現れないのも致し方ないのでしょう。かく言う小生の家も○○ホームで建てたのですから。引き取り手が見つからないまましばらくすると、側板を切って階段様の棚を作るとか、いろいろな利用法も考えましたが、どうしても手を付けることはできません。最後は「三億円の宝くじでも当たったら箪笥に合わせて自分で家を建て替えるか」と諦めの心境に至ったのです。 そしてお婆さんから「あの箪笥、まだ有るのですか?」との連絡が入ったのです。何でも長女さんが再婚で長野の一級建築士の方の所に嫁ぐことになり、それを機会に長野の家を建て替えることになったそうなのです。長女さんの婿さんに階段箪笥の事をお話するとえらく興味を示され、有るならぜひ見たいとのことなので、早々に了解のご返事を差し上げ、見に来て頂くことになりました。そして後日来宅され、その場でお引き取りを即決なされたのです。すでに粗方出来上がっている設計図に変更を加えて、階段箪笥を中心の家になされたいとのことで、小生の助言も求められましたが、助言申しあげるまでもなく、もうその時にはお互いの配置場所は決まっていて、同じ場所だったのです。それから三時間、骨董や古物のことについて色々話し合い、意気投合しました。そして金銭の話しに及び、初対面の解体屋の親父や知り合いの大工が無料で作業してくれたことなどの詳細をお話しして「代金を頂くことは出ない」旨をご説明しました。それではお気が済まぬと申されたのですが、ここはどうしても固辞するしかありません。この階段箪笥は、もともと売買品ではないのですから。 四ヵ月後「ようやく家が出来た」とのことで招待されお伺いしましたが、その出来映えは予想通りで、過多に主張することもなく、かと言って沈むこともなく、新たな居場所を見つけたように新築の家にしっくりと収まっていました。解体されて我が家に寂しそうに置かれ、その行く末も定かでは無かった箪笥に命が吹き込まれたのです。正に命を吹き込まれるとはこう言うことなのです。この箪笥の話しが持ち上がった時には全く関心を示さなかった長女さんもかなりお気に召されたようで「徳升さんが居なかったら、この箪笥はここに無かったんですよね」と感謝のお言葉を頂戴しました。「無償なのに、なんでそんなに肩入れされるのか」とも聞かれましたが「思い入れ」としか答えようがありませんでした。一目見た時から魅入られてしまったのです。一目惚れに理由が無いのと同じなのですと・・・・。 今回はちょっと面白いお客様との笑える話しをご紹介しようと書きはじめましたが、いつしか横道に逸れてしまいました。すでに骨董屋は廃業していますので、もうこんな会話が交わされることもありませんが、グラフィックデザインの仕事においても時に笑える会話が交わされる事がありますので、いずれ認めようと思っています。 |