第9回 衰えには身を委ねる

 1年あまりやっていた古物店を閉める事になりました。
 理由は当然ながら売り上げ不振と資金の枯渇ですが、本業であるグラフィックデザインの仕事が増えて来たことも有るのです。
 古物店を開いていてもお客は殆どきませんので、サブコンピュータを持ち込んで、僅かばかり入って来るグラフィックデザインの仕事を熟していました。今まではそれで処理できていたのですが、どう言う訳かこのところ徐々に仕事が多くなり、サブコンピュータでは処理が追いつかなくなってきて、時に古物店を休んで事務所のメインコンピュータで処理せざるを得なくなことが次第に増えて来たのです。当然として休みがちな古物店は更にお客様が来なくなります。
 そこで本業のグラフィックデザインと古物店のどちらを選ぶかの決断をしなくてはならないことになりました。両方を天秤にかけるとやはり収入源である本業に力を入れざるをえませんが、思い入れのある古物店も閉店する決断もできません。そこで考えたのが滝野川の自宅の1階に最小の古物を置き通信販売を主体として古物店を続けるという方法だったのです。
 そしていよいよ古物店の閉店と滝野川への移動の準備を始めることになりました。

 「少し前だったら一晩寝れば直ぐに疲れは取れたんだけどな」と愚痴を溢すと娘は「少し前って何時のことを言っているの?」と問うものですから「そうだな?四十歳くらいのころかな?」と答えたところ「それは大昔のことよ!」と宣う次第。小生にとってはちょっと前のことのように思えるのですが、二十五の娘にとっては物心が付いたか付かない時期の話しですので、確かに「大昔の話し」なのでしょう。
 月日の経つのは早いもので、くりくりと可愛かった娘にもすでに彼氏ができていて「お肌の曲がり角」に来ています。その間小生の体力は目に見えて衰え来たようなのです。しかし、普段はその衰えをなかなか実感することはありません。小生の本業であるグラフィックデザインのような仕事は、その殆どがコンピュータでの作業ですので、最新の音楽を聴きながらネットサーフィンなどをしていると、否応なく常に最新情報に触れていますので「気」だけは35歳から40歳くらいと若く保つことができます(と思っているのは自分だけかも知れませんけどね)。そこに気持ちと実年齢の差という落とし穴が有ったのです。今回の穴は自分でも驚く位、大きく深い穴でした。

 小生、二十二歳で親元から離れて一人暮らしを始めたのですが、相当な引っ越し好きで家賃の更新というものを経験したことが無かった位、あちこちを転々としていました。そして十五歳からの山登りで培った足腰と体力には相当な自信を持っていましたので、その引っ越しを全て一人でやっていたのです。引っ越し貧乏とは良く言ったもので、年中引っ越しをしていると敷金や礼金などの出費が嵩みますので、当然「金」は貯まりません。それでも1年も同じ所に住むと引っ越しの虫がもぞもぞと動き出してくるのです。ですから引っ越し業者などに頼むこともできませんので一人で家財道具を運ぶしか無かったのです。結婚してからも北区西が丘→埼玉県朝霞市→豊島区池袋→千葉県新松戸→豊島区西巣鴨三丁目→西巣鴨五丁目→西巣鴨四丁目→北区滝野川と転々としていましたので家内は「相当に大変だった」と今でも言われています。

 とりあえず、もう歳も歳ですので今の滝野川は終の棲家と家内には言ってはいるのですが、ただ、実は今でも「引っ越しの虫」は心の中にいるのです。BIGで六億円でも大当たりすれば再び「引っ越しの虫」が頭を擡げてくるのは必至ですので、BIGやジャンボなどは買わないようにしているのですが、どういう訳か気づくと毎回分手元にあるのです。「いったい誰が買ったんだ!」←当然お前だろ!

 まずは店舗の閉店作業です。
 細かいものは全て梱包して入っているものの詳細を箱に記します。和箪笥などはエアクッションで梱包します。そして昇降機付きの2トントラックをレンタルして、夜に一人で全ての作業を行いましたが、これがとんでもなく大変な作業でした。
 小さな店でしたので当初は梱包に1日、滝野川への搬送に1夜を予定していたのですが、結果的に梱包に3日を要し、搬送は1夜では終わらず翌日赤帽を頼まざるをえなくなったのです。そして全ての荷の搬送を完了した時には、本当に倒れ込んでまるまる1日寝込んでしまうことになったのです。

 疲れも四日を過ぎるとどうにか治まりやる気も徐々に出てきましたので、乱雑においてある滝野川の荷の整理をすることになったのですが、これがまた大変でした。生活空間である玄関から居間をGALLERYに仕立てるためには、当然日常の生活で使っているあらゆるものが有り、これをある程度片づけて行かなくてはなりません。一つ片付ける毎に「これは毎日必要なの!」と家内から文句が出ます。その度に家内との交渉と移動先の探索が始まりました。移動先が決まるとその場所の片付けをしなくてはなりません。そんなこんやで気がつけば十日が経ち、二週間となって、そして計算違いが発覚していくのです。

 昨年末に店舗の移転を決心してから、移動する物とその配置を一ヵ月かけて綿密に計算しました。したつもりでした。しかしその殆どが机上の空論だったのです。これは玄関にと想定していた物を移してみると人の通る余裕が全くありませんので、元に戻すことになってしまいます。人の通る余裕を確保すれば小さな物しか置くことができません。あまりにも貧弱な古物商の店頭では様になりませんので、あらゆる可能性を考え試した毎日を過ごすことになったのです。いったいあの「綿密な計算」と思っていたものは何だったのでしょう。甘かったですね。甘すぎました。こんなことでは人生設計などままなりません。もっとも、今まで人生設計などはあまり考えたことなどなく、その場しのぎでふらふらと好きなことばかりやってきましたので、そんなことを言えた義理ではありませんが・・・。

 その間には警察への店舗移転の届け出や看板の制作、ホームページの整備に加えて本業もこなさなくてはなりませんでしたので、目の回るような日時があっと言う間に過ぎてしまい、気が付けば三月も中旬に入ってようやく先が見えて来て少し安心したら、溜まっていた疲れがどっと押し寄せて来たのです。気が張っていると意外に気が付かないのですが、緩むと来るのです。それもものすごく大きなものが。その大きさに抗う気力と体力は、とうの昔に置き去りにして来てしまっていました。これ以上詳細を書くと自分が惨めになってしまいますので、このくらいで止めておきますが「衰え」とは本当に怖いものです。

 四十代で「まだ若い!」と思っている貴方! もう「衰え」は始まっていますよ! 貴方の後ろをひたひたと足音を忍ばせて付いて来ているのですよ!今気が付いて準備をすれば「衰え」を先に延ばすこともできますが「まだまだ平気だよ」なんて言って優柔不断な生活を送っていたら「衰え」はすぐに貴方に取り付きますよ。
 祖母に握ってもらった「おにぎり」を持って、高下駄で天狗のように奥多摩の山をかけずり回っていた二十歳頃の小生には体力が充ち満ちていました。そんな体力を「昔取った杵柄」と勘違いして、仕事にかまけて運動もせず健康管理も疎かにしていたら、この体たらくです。体力・気力は外見ではわかりません。どんなに外見が若く見えても五十を過ぎると「衰え」は徐々に体の内を蝕んでくるのです。

 どうにかこうにか、何とか滝野川の自宅での開店にこぎ着けることができましたので、これからは少しづつ運動して体力の増強を図って行こうと思っています。そして、どうしても体力を増強をしなくてはならない理由があるのです。来年の二月頃に孫を連れてのスキーを計画しているのですが、そこでかわいい孫にスキーを教えることになっているのです。その時、へろへろ爺では様になりません。それこそ「昔取った杵柄」を披露しなくてはならないのです。

 今回は老化と衰えについて認めましたが、これは長生きをすれば万人皆が体験しなくてはならないものです。読者諸氏、ご自愛ください。