第8回 小生の禿について

 今回は今までの六回と少し趣向を変えて、仲間内での飲み会で話題になった「はげ」のことについて認めてみます。五回目と六回目に認めた「はけ(刷毛)」のことでは無いですよ。小生の頭の「禿」のことです。「はけには毛が有り、はげには毛が無い」と言うことです。

 小生、前頭部は禿げ上がり頭頂部もかなり薄くなってきており、残りの頭髪も半分以上が白髪の立派な禿げです。

 小生が二十歳くらいの時、床屋で「あんた禿げるよ」とズバッと歯に衣を着せぬように言われたことがありました。当時のまだ若い小生の頭は黒々としていましたので「なんだ!このやろう!」との思いから、二度とその床屋には行かなくなりました。今思えばやはりプロ、ちゃんとそこは見抜いていたのですね。あの時の床屋の目は「可愛そうに」と言っていたのだと、薄くなってからようやく気づいた次第です。もっと早く養生すれば少なくとも「長持ち」はしたのかもしれませんが、その当時は今みたいに優良な養毛剤や育毛剤はありませんでしたので放置していたのですが、もし有ったとしら、若かった小生は必死に足掻いて養生したか、金が続かず諦めたか、今では判断できませんが・・・。

 始めに「薄くなってきた」と気づかされたのは四十も半ばの頃でした。何年かぶりで会った知人の視線が頻繁に小生の頭部に行くのですが、そのことに決して触れることはありませんでした。飲み仲間にこのことを話したら「ようやく気づいたの?禿げてきてるからだよ!」と指摘され納得しました。「みんな気づいていたんだけどさ、なかなか言い出せなくてね!まあ気づいたんだからこれからは気楽に!」と「そろそろリアップだな」「頭皮を揉んで柔らかくすると良いそうだ」「刺激を与えると良い」「アデランスは良いそうだ」はたまた「いっそのこと剃っちゃえ」「剃るのが嫌だったらチョンマゲ」などとその時の飲み会では小生の「禿」を肴に大盛り上がりでした。そんな飲み仲間たちの頭も歳を経るうちにだんだん寂しくなってきて、今では小生を追い抜いた奴も出てきました。
 しかし、一人だけは今でもふさふさで黒々としていて、生え際も絵に描いたような富士額ですので、禿仲間は「彼奴は絶対カツラだ」と囃し立て、言われた当人は「本物だ!引っ張れば分かるぜ」と言い張るのですが、誰ひとりとして試してみる者はいません。「今のカツラの装着技術は優秀だからわからねえよ!」と・・・・。もし試してみて、取れてしまったら可愛そうだし、取れなかったら羨ましい気持ちがつのりますます。話題は禿から本当の髪への羨望に変わって来たのです。

 小生以前(まだ毛の有ったと思っていた時代)は知人がやっていた事もあり、美容院で整髪と染めをしてもらっていましたが、ある時その知人がアシスタントに「頭頂部の頭皮に付けないように」と指示したことがありました。ピンと来ましたね。気心の知れ合った仲間でさえなかなか言い出せなかったらしいのですから、前出の知人は相当に気を使ってくれていたのでしょう。それからは人に会う度に積極的に自身の禿を話題にするようにしています。

 小生、禿は嫌ではありません。ですから今までいかなる増毛法も試してみたことはありませんし、禿を隠そうとしたこともありません。以前、友人からは「少しは気を使えよ!もてるように努力しろよ!」と言われたのですが、この歳になって、いったい誰にもてようとするのか?。確かにいくら歳を取っても容姿に気をつけることは重要ですし、その気構えが有れば有るほど活力が湧いてくることも事実ですが、湧いてきた活力は小生の場合、やはり趣味に投じてしまうのです。もし吉永小百合様のようなお人がもし現れれば、その時は何百万円かてけてでも増毛に励むかもしれませんが、なかなかそんな好い女の人は現れませんし、お近づきにもなれません。しかし、今までに一度だけ過去に現れたことがありました。それが今の家内です(もう粒のかたちも解らなくなるくらいのゴマ摺りです。結婚して30年、誕生日や結婚記念日などに今まで何一つプレゼントしたことがありませんので、せめてこのくらいのことは言っておかないと小生叩き出されます=どうかこの文章を家内が読まないことを祈ります)。

 小生には男の子の孫が一人おりまして、小生のことを「お父さん」と呼んでいます。(本当の父親のことはパパと呼んでいます)この孫が生まれたのが小生四十九歳の時で「五十路前に爺さんはきついよ」と言い張りましたので、そのまま今でも「お父さん」と呼んでいます。「そろそろジイチャンでも良いよ」と言うのですが、一度言い出した呼び方を直すのも孫にとっても面はゆいらしく、今でもお父さんと呼んでいます。
 前置きが長くなりましたが、数年前の正月のこと、孫と二人で写真を整理していましたら「これ誰?」とのこと。「お父さんだよ」と言ったら不思議そうな顔をして、「違うよ!だってこの人毛があるじゃないか」と言うのです。そこで祖父(60歳でつるつる)などの写真を持ち出してきて、隔世遺伝のことやらを得々と説明したのですが今一つ納得できないらしく「やっぱり違う人だよ」というので、そういうことにして、とりあえずその場をしのぎましたが、最近どうにか分かって来たらしく「俺も禿るのかな?」と心配顔で聞くので、「まだまだ先のことだよ。もし禿始めてもこれからは良い薬が出てくるから心配無いよ」と説明したのですが、当人の安心はともかくとして、孫の頭を見るにつけどうも小生の頭と似ている。「こいつはやっぱり禿げるな!」との思いは拭えませんので、小生の生有る限りは見張っていて、アドバイスを怠らぬようにしようと決心した次第です。

 禿にも利点が多くあります。
 まず、雨をいち早く察知できます。直接頭皮に当たりますから・・・。
 それから暑さ寒さに敏感になりました。
 バイクの時のヘルメットが1サイズ小さくなりました。
 床屋にも行かなくて済みますのでその分小遣いが増えました。(少し裾に鋏を入れるくらいで済みます)
 温泉に長く浸かっても逆上せづらくなりました。
 熱が出た時に冷やすのが容易です。
 中国の人からは尊敬されます。(中国では頭の良い人が禿げると言われているそうです。本当ですかね)

 以前にお付き合いの有ったイタリアの人は30代前半で殆ど髪の毛が有りませんでした。当人「何で日本人はそんなに髪の毛を気にするの?イタリア人は気にしないよ」とのこと。確かにそのような目でイタリア人を見ると若い人でも禿げている人が多いのも事実です。「哺乳類霊長目ヒト亜科ヒト属ホモ・サピエンスは進化の過程で不要な毛は捨てて来たんだ。だからイタリア人は一番進化している民族なんだよ」と言うのですが、一緒に温泉に入ったことが有り、その裸の姿は至る所の毛がぼうぼうとしていましたので確かではありません。また、「地球まで何光年もの時空を旅できるくらいに進化した宇宙人を見てみなよ、髪のフサフサの宇宙人は殆どいないよ!」と言われると確かにその通りなのです。もっとも、小生本物の宇宙人(地球外知的生物=ヒューマノイド型に限る)を今まで一度も見たことが有りませんので詳細は分かりません。読者諸氏の中で実際に宇宙人にお会いした方がおられたらお教え頂けますと有りがたく思います。

 最近頓に目に付くのが若い方の薄毛で、30歳前後であろうと思われる方も、かなり薄い方が見受けられます。テレビの育毛剤のCMにも若い方が起用されてきているのにもそのような背景が有るものと思われます。もし結婚されておられないのであればなおさらお気の毒で、お悔やみ申し上げたいのですが、これだけは決して触れることはできませんので、この文面で一言「剃っちゃえ」と。スキンヘッドも格好良いですよ。サンプラザ中野さんのように。
 有るから無くなるのが心配なのです。もともと無いものは無くなりようが無いのです。と書いている小生の後ろから頭をコツンとした奴がいます。四十代前半で最近薄さが目立ってきた友人の会社の社員で、これも最近友人の仲間入りした奴で、このところあらゆる育毛剤に手を出しているのですが、一向に効き目が現れません。皆に「もう無理だから」と言われているのですが、はてさて、いつになったら諦めがつくことやら・・・・。なんだこいつは!先輩の頭を叩くこと自体が失礼とは言わぬ!毛の無い頭は衝撃が頭蓋骨に直接響くのだよ!

 ただ、禿には残念なことが有ります。
 以前のベカッムのようなショートモヒカンに憧れているのですが、もうできません。当然坊主頭もできません。刈る毛が無いのですから。またEXILEのATSUSHI氏のようなラインを入れたヘアスタイルもしてみたいのですが・・・・。夢を追い続ければ叶わぬ願いは無い!といいますが、はっきり言って嘘です。この世の中、叶わぬ願いの方が遙かに多いのです。まあ、だからこそ人生は面白くもあり、苦しくもあるのでしょう。世の中の「禿」の皆さん!禿を楽しみましょう!

 しかし時々「きのどくだなぁと」思う事もあります。親子連れに遭遇したときに、子供は無遠慮ですので「あのオジサン禿げている!」と言った時などです。親の方は何とも所在ない態度で、振り向くとペコッと頭を下げて申し訳なさそうにするが何とも「きのどく」に思われます。子供は正直に自分の思ったままを言ったのですから・・・。そんな時、小生はその子にの顔を見てニコッとし、自身の禿げ頭をポンとたたきます。それで殆どがが解決するのです。

 前から書こうと思っていたこの「禿」の話題。どの回にするか迷っていました。所詮「閑話し」ですので、そんなに明確な流れを作る必要は無いのですが、とりあえず第二回からの流れのようなものが出来てしまっているのです。その続きになるような話題を書いていたのですが、書いて行くうちに若干の資料が不足していることに気づきました。いくら「閑話し」と言えどもいい加減なことは書けませんので、この際にと今回の「禿話し」となった次第です。