第7回 漆塗りと人々の情 |
小生の職業はグラフィックデザイナーですので、友人はと言えば仕事の関係で知り合ったカメラマンやイラストレータ、コピーライターなどのフリーランスの同業者達です。ですからある意味非常に狭い社会の中で生きてきました。そんな小生にも仕事関係とは縁の無い友人が何人かいます。 もう30年も前になりますが、知人主催のパーティーで知り合った群馬で一級建築士をしている人がおり、毎年の年賀状で「今年こそはお会いしましょう」とのやり取りをしていたのですが、いつしか年月を経てしまい、ようやく6年前に再会することになりました。この友人、本人曰く犬ように元気で、俗に「竹を割ったような」性格でせっかちです。職業柄群馬の地理には詳しく時々訪問すると、ここの桜は良いとか、ここの泉の水が旨いとか、こんどはここの温泉へなどと、群馬中を連れ回してくれます。当然この友人の知人も多くそこで紹介された方々との交流が、今の小生を群馬に駆り立てているのです。 以前、仕入れ半分、遊び半分の気持ちで四万から猿ヶ京を経て奥利根湖へ、そして赤城山麓の前橋へと、いずれも人が10人以上いる所は素通りしながら山間の山里巡りをしたことがありました。途中天気も良く、日差しも心地よかったこともあり、曼珠沙華の咲いている原で昼寝をしていたら「自殺者」と間違われ、あやうく警察に通報されそうになったことありました。納屋をひっかき回したり(当然家主の承諾の上です)屋根裏を這いずり回ったりすることもありますので、このような時はきたないジーンズ姿なので「東京で食いつぶした者」と思ったと、小生を発見(笑)した爺さんは言っていました。 「古物商」とは、ある意味胡散臭く見られる(時には盗品も有るようですが、幸いまだ小生は出会っていません)商売なのですが、このように友人、知人、見知らぬ人の情に支えられている所もあるのが実情です。こうしてお受けした情は「物」でお返しすることはできません。情は「情」でお返しするしかないのですが、これが大変難しく何時も一生の課題と思っており、せめて自分だけは正直に真摯な姿勢を貫くことしかできないのではないかと思っています。この時の山里巡りで得たものは、6人の方々の厚い「情」でした。 第五回でも認めましたが、漆塗りを始めてから懇意にして頂いている方に「漆刷毛工房ひろしげ」の工房主、九世泉清吉様がおられます。当初は無料の資料を請求し、立派な資料を頂戴したことへの返礼のメールだったのですが、小生のメールに再度ご丁寧な返信を頂き、そこから頻繁なメール通信が始まったのです。 漆塗りを始めた当初は次々と疑問が噴出してきましたので、その都度Webサイトで検索し調べ回りました。「専門書籍を買えばいいじゃないか」と言われる方も居りますが、実は専門書籍には一通りのことは載っているのですが「塗り師の裏技」などは、殆ど載っていないのです。長年培ってきた本職の技には、専門職ならではの、その方ならではの「裏技」や「補助知識」が有ります。ですから小生はできるだけ「専門家に聞く」ということから始めるようにしています。 始めは「無料なのだから」と気楽に資料を請求したのですが、送られてきた立派で詳細な資料に感動し、その感動が泉清吉様との交流に発展したのですが、そこには物の売買いや損得を超えた、漆という世界に熱い情熱を持つ泉清吉様の「情」が有ったからこそ出来た交流だと思っています。ですから泉清吉様からお受けした「情」は小生の漆塗りの上達で返させて頂こうと思っている次第です。 また、群馬渋川市で仏壇屋を営んでいる方と知り合いになり黒檀や紫檀、欅などの端材を頂戴していますが、この方、どんなにお礼をしようと思っていても一切の謝礼を受け取って頂けません。 余談になりますが、小生の製作しているペーパーナイフは黒檀材や紫檀材を裂き、その裂き目を活かしながら最小限の加工を施して、それを一切の塗装をせずに素材の極限まで磨いて作ります。ですから「柾目」の素材より目の曲った方が面白いものができるのです。しかし仏壇には綺麗に目の通った柾目の部分を使いますので仏壇屋にとっては目の曲がった部分は不要なのです。そんな小生の臍のように目の曲がった端材が工房の片隅に積まれており、その中から面白そうに曲がった目の黒檀材や紫檀材を頂いてくるのです。お父上の時代から有った材木を使っているとのことですので、確実に80年間は自然乾燥されている非常に状態の良い材木です。端材ではありますがそんな貴重な材木を頂戴する訳ですから「少しでもお礼を」と言っても「だったら燃やしてしまう!貴方だから上げるんだよ」と言って一切の謝礼を受け取って頂けません。ですから群馬に行く時には巣鴨の塩大福を持参して、必ず顔を見せることがこの仏壇屋さんへの情に報いることと思っています。 以前に開いていた小生の骨董屋のような店ではあまり商売になりません。骨董に興味の無い方にとっては、店に置いてある商品は屑同然なのです。しかし時に骨董好きのお客様がご来店なされ、その時には小生も商売を忘れて長話をすることがあり、しばしばいろいろな情報を頂くことがありました。こんな商売もままならぬ店を開いて一番良かったことは、このような方々とお知り合いになれたことです。 |